生地ではなく布地にこだわる


新聞の折り込み広告に、有名なテーラーのカタログが入っていました。

表紙を眺めていて、私はあるひと文字に目が止まりました。

「生地を解き、時を撚る。」

「生地」と書かれていました。

パソコンで「きじ」と入力すれば、たしかに最初に「生地」と変換されます。
「ぬのじ」と入力すれば「布地」と出てきます。

けれど、布を扱うひとは「ぬのじ」とは言いません。
昔から、ごく普通に「きじ」と呼んできました。

だからこそ、テーラーのカタログにある「生地」という二文字を見て、驚きました。

もちろん、「生地」という表記が間違いというわけではありません。布についても「生地」という漢字は広く使われている様に思います。

それでも私の中では「生地」という文字は、小麦粉などの食材としての生地が先に浮かびます。

布を手に取り、織りや厚み、光沢、手触りを確かめながら仕事をしてきた者としては、「布地」とう表記に拘りがあります。

ましてや、テーラーの広告です。

もっと布を愛してほしい。

そんなことを思ってしまいました。

昔、刺繍屋とテーラーはとても近い関係でした。

私が仕事をしている蒲田にも、かつては布地を販売している店やテーラーが沢山ありました。

刺繍を頼みに来るテーラーのご主人は、肩の線がまっすぐな仕立てのいい背広を着ていました。

バブルの頃には、一着100万円を超えるようなスーツもよく持ってきていました。

母が横振りミシンを使い、服の裏のポケットのところへ名入れ刺繍をしていました。

刺繍を終えると、私が名前と名前の間に渡った糸を切る仕事をしていました。

まだ若かった私の手に残っているのは、布に触れたときの、少し冷たい感覚。
雲を触っているような布の柔らかさです。

今でもあの感触は忘れません。

当時のテーラーのご主人たちは、当然ながら布を見る目を持っていました。

けれど、お客様の側にも、良いものを見慣れている方が多かったように思います。

布を見て、触って、仕立てを見て、「これはいいものだ」と分かる。

作り手だけでなく、使う側にも「見る目」があった時代だったのだと思います。

最近はデパートで販売されている服でも、裏側を見てみると昔なら丁寧にされていた返し縫いも、裏表でかがりが見えている状態の服を見かけます。

もちろん、時代とともに求められるものが違えば服の作り方も変わることはわかります。

これはファストファッションの功績とも言えると思っています。

それでも、長く布と糸に触れて仕事をしていると、少し寂しく感じることがあります。

見えないところまできちんと作る。

素材を知る。

手間を惜しまない。

そして、布そのものを大切にする。

そうした仕事は、時代が変わっても残ってほしいと思います。

刺繍の仕事も、ずいぶん変わりました。

パソコンでデータを作り、自動刺繍機が何色もの糸を使って縫ってくれる時代です。

それでも、布に触れ、糸を選び、仕上がりを確かめるのは人の手です。

だから私はこれからも、「生地」ではなく「布地」

そんな小さな言葉にこだわりながら、布と糸に向き合っていきたいと思っています。