横降り職人さんの話

技術的な話から少し逸れますが、お盆の時期ですので、先代の思い出をお話ししたいと思います。

私の母をご存じの方と今でもお仕事をご一緒すると、
「お母さんは今まで見た職人さんの中で、横振りの字が一番きれいだった」と、ありがたいお言葉をいただくことがあります。

母は59年前、大阪・天王寺で「横振り職人募集・高給」という新聞広告を見て、この世界に入りました。習い始めの頃から「これは自分の天職だ」と感じたそうです。
当時、ミシン刺繍は花嫁修業のひとつとして習う女性も多く、趣味として楽しむ生徒さんもいました。しかし、母は乳飲み子の私を養うため、誰よりも早く技術を習得し、師匠の信頼を得て仕事を任せてもらえるようになりました。当時は女性用下着に花を刺繍する仕事をいただいていたそうです。

その後、東京へ移り、大田区のユニフォーム会社の専属職人として活動しました。有能な職人だった母は一軒家を持つこともでき、日本が高度経済成長期を迎えていた当時、京浜工業地帯のなかの大田区では4畳半の仕事部屋がユニフォームで埋め尽くされるほどの注文がありました。

当時はまだコンピューターミシンが一般に普及しておらず、大手アパレルメーカーにしかありませんでした。会社ロゴで丸を描く時は、ミシンに専用コンパスを当て、作業着を360度回転させながらフリーハンドで刺繍していました。
東芝の旧筆記体ロゴもすべて手作業で仕上げておりました。母の刺繍は一枚ごとの誤差がほとんどなく、糸切りを手伝っていた私はどの刺繍も端正だと思っていましたが、現在も大田区にある品川ファーネス様の菱形ロゴはいつも「菱形は難しい」と最後まで納得が行かない様子でした。

冬になると、作業着に入っているナフタリン系の防虫剤の強い匂いが部屋中に広がり、目が痛くなるほどでした。子どもの頃の私は、冬の作業場には入りたくはなく、用があると息を止めて済ませていた記憶があります。
昔の職人さんは、向上心も忍耐力も強く、仕事をされていたのだと今になって深く感じます。